親の介護 鬼になった月日
昨日は母の命日でした。来年13回忌。月日の経つのは新幹線並みに早い。
この間ネイルのお姉さんと親の介護の話になりました。
お父様はパーキンソン病で去年亡くなられたとのこと。
ほとんどお母様が介護をされていたのですが、それに限界を感じて緩和病院にお世話になったと言っていました。
それを聞いて当時のいろいろな思いがよみがえり胸が苦しくなりました。
私の母が最初に倒れた当時は介護保険の制度は無く 全て自分負担 お金も自己負担でした。
それまで介護のかの字も知らない日々をゆるく生きてきてまさに青天の霹靂とはこのことだなと。
今でこそ訪問看護師さんや訪問医者の方に自宅に来て頂くことは普通ですが、誰にも頼れない毎日24時間の苦しさや切なさは容赦なく私の身体や心から余裕と言うものを奪っていきました。
まさに 人間が鬼になった時期でした。
私の子どもたちもまだ思春期の真っ只中で そっちも手を抜く訳には行かずに八方塞がり状態で、正直紆余曲折ありながらもよくみんな無事に生きてこれたな と思うのです。
一歩間違えれば 時々ニュースで目にする悲惨なことにもなりかねない極限の綱渡り状態でした。
何年かして介護保険制度が出来て格段に自宅介護もやりやすくなったけど 心から休める日々など皆無に等しかった月日……
それでも当時 訪問看護師さんや訪問医者さんから緩和病院の話は全く出なかったので今のようにメジャーではなかったのかなと思います。
あんなに辛かった介護生活もいよいよお別れが近くなって母との意思の疎通も全く出来なかったけど「もう何もしなくていいよ」と言う母の意思を感じて 生きることへの前向きな介護をストップしてから1週間 家族親族みんなに見守られながら旅立ちました。
言葉に語弊があるかもしれませんが 病院ではなく自宅で看取れたことは今でも私の誇りです。
それがその時の私の率直な思いでした。
辛く壮絶な介護生活は15年で突然終わりを告げました。
私は子どもたちに私と同じような思いをしてほしくない。
いわゆる延命行為と言う医療行為はしてほしくない。そのことは当時間近で見ていた子どもたちに日頃から言っています。
自然に枯れていけたらいいなと願うけど こればかりは誰にもわからない。
誰も 鬼 になってほしくない。
そんなことをいろいろ思い出したネイルサロンのスタイリストさんとの穏やかなひとときでした。
ではまた。